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加速する時代に抵抗する読書 -テクノロジーと日常をめぐる対話-

加速する時代に抵抗する読書 -テクノロジーと日常をめぐる対話-
Photo by Hümâ H. Yardım / Unsplash

2025年の万博が見据えられる中、「未来」「イノベーション」といった言葉が当たり前のように飛び交う。しかし今回のビブリオトークで注目されたのは、そうした進歩や新規性に対する無自覚な称賛ではなく、私たちの足元にある日常や歴史、情報や言語の仕組みそのものを問うという姿勢だった。それらの書籍に通底しているのは、「普段は当然のこととして受け入れられるものにこそ、見過ごせない構造が隠れている」という考えだと言えよう。

当たり前の風景を見直す力

まず最初に取り上げられたのは、クレイグ・モドの『KISSA BY KISSA 路上と喫茶 -僕が日本を歩いて旅する理由』。
郊外の喫茶店やチェーン店といった光景は、多くの人が「何も特別なところはない」と思いがちだ。しかし著者は“外部”の立場から、そこに独特の魅力を見いだす。この行為は、郊外の「画一的」なまなざしそのものを覆し、気づかれないまま通り過ぎる風景の再発見へと読者を誘う。登壇者は、彼が撮りためた写真や文章を通じ、「なぜ私たちは自分の暮らしをこんなにも客観的に捉えられないのか」と考えさせられた、と語っていた。

技術と社会の歴史的関係

ジョディ・ローゼンの『自転車 -人類を変えた発明の200年』に話題が移った際には、19世紀における二輪車の扱われ方が深堀りされた。当時、自転車は“最先端の乗り物”として社会に大きな衝撃を与え、加速主義的な夢や危険性、さらには女性の利用をめぐる議論まで巻き起こしたという。今では「環境にも優しい」「誰でも乗れる」イメージが強いが、かつては馬に取って代わるイノベーションとして賛否両論だったのだ。
こうした事例は「テクノロジーが人々にどう受容され、どのような力学と結びついていたのか」を明らかにするものであり、現在のAIやデジタル化にも重なる構造があるのではないかと、登壇者たちは指摘していた。

省略される出来事の意味

一方、永井玲衣『世界の適切な保存』では、映画であれば編集の段階で切り落とされるような些細なシーンにこそ着目する意義が述べられる。トーク内では、喫茶店で割り箸を使ってアイスコーヒーをかき混ぜる場面などが例に出され、「普通ならば顧みない場面」がときに強い記憶や感情を呼び起こすこともあるのではないか、という論点が共有された。
これは社会全体が「大きな事件」や「目立つ言説」だけをクローズアップする傾向と表裏一体にある、とも言える。日常の取るに足らない場面や、災害・差別・政治などで見落とされがちな側面は、どのように扱われるべきか。登壇者は、そこに記録の在り方や記憶の扱い方という重要な問いを見いだしていた。

情報を結びつける力として考える

ユヴァル・ノア・ハラリ『NEXUS -情報の人類史』(未刊行のプルーフ)で示されるアイデアも興味深い。情報を“真実を届けるため”ではなく、“人やコミュニティを繋ぐ機能”として捉える考え方である。
これによると、情報はフェイクか否かという二分法だけで論じられない面を持つ。なぜなら、人々が集団として結びつく手段そのものが情報だからだ。トークのなかでは、AIが普及する近未来では「アテンション」よりも「親密さ」の奪い合いが進むのではないかという指摘がなされ、社会やコミュニケーションの枠組みを考え直す議論が展開された。

翻訳の背後にある力学

レベッカ・L・ウォルコウィッツ『生まれつき翻訳 -世界文学時代の現代小説』では、翻訳された版が単なる派生物ではなく、「もうひとつのオリジナル」である可能性が提示される。これは英語が世界で支配的な立ち位置にある現状を相対化し、「どの言語を誰が正統とみなすのか」という問題を浮き彫りにする。
登壇者の言葉を借りれば、この本が問いかけるのは「文学や文化のヒエラルキーは、いかにして形づくられているのか」という点であり、自転車やAIと同じく、言語の世界にも隠れた力関係が存在するのではないか、という視点が共有されていた。

宗教経典とAIの対比が映し出すもの

円城塔の小説『コード・ブッダ -機械仏教史縁起』は、仏教の経典が多くの人々によって書き足され、翻訳されながら広まっていった過程を、AIチャットプログラムの自己増殖と重ね合わせる。悟りを“電源を落とす”行為に喩えるなど、宗教的営みとテクノロジーを大胆に接続する。
これは「ある中心的権威が何かを一方的に示す」のではなく、「改変や更新が絶えず起こる仕組み」を描いている点が特徴的だ。トークでは「人間が絶対的と思っている原典が、実は後付けで構築されてきたのでは」という問いが議題に上り、あらためて情報や権威を疑う視線が浮き彫りになった。

繰り返し立ち現れる政治的な影と、その検証

最後に取り上げられた会田弘継『それでもなぜトランプは支持されるのか』は、右派・左派問わずに起こりうる情報の歪みや、リベラルメディアのファクトチェックの落とし穴を論じている。
登壇者は、政治現象もまたゴジラのように繰り返し姿を変えて襲来し、それはニュースを受け取る私たち自身の立場が、どこかで合意済みの情報構造に依存しているからだと指摘していた。未来を語るにあたっても、こうしたメディアや権力の働きに目を背けないことが重要であると結論づけられたようだ。

2025年を越えて目指す視線

こうして紹介された本に共通するのは、ひとつの大文字の物語を掲げるというより、「私たちが気づかないまま見逃している仕組みや構造」を掘り下げる態度にある。
19世紀の自転車から、仏教経典とAIにいたるまで、歴史や日常の中に当たり前のように埋め込まれた前提や規則、それに伴う力の配置を見つめ直すこと。ビブリオトークでは、それが2025年以降を考えるうえで不可欠なのだと繰り返し示唆されていたと言える。未来とはしばしば“バラ色の可能性”として語られがちだが、だからこそ一度立ち止まり、当下の足元や過去に埋め込まれた矛盾や盲点を点検する意義があるのではないか。その問いが、トーク全体を通じて浮かび上がっていたのである。

登壇者

渡邉康太郎|KOTARO WATANABE

Takram コンテクストデザイナー。使い手が作り手に、消費者が表現者に変化することを促す「コンテクストデザイン」を掲げ活動。組織のミッション・ビジョン・パーパス策定からアートプロジェクトまで幅広いプロジェクトを牽引。関心事は人文学とビジネス、デザインの接続。主な仕事にISSEY MIYAKE の花と手紙のギフト「FLORIOGRAPHY」、一冊だけの本屋「森岡書店」、北里研究所、日本経済新聞社やJ-WAVE のブランディングなど。同局のラジオ番組「TAKRAM RADIO」ナビゲーターも務める。著書『コンテクストデザイン』は青山ブックセンターにて総合売上1位を記録(2022年)。趣味は茶道、茶名は仙康宗達。大日本茶道学会正教授。Podcast「超相対性理論」パーソナリティ。国内外のデザイン賞の受賞多数。また独iF Design Award、日本空間デザイン賞などの審査員を歴任。2019-24年のあいだ慶應義塾大学SFC特別招聘教授を、24年より東北芸術工科大学客員教授を務める。

松島倫明|MICHIAKI MATSUSHIMA

『WIRED』日本版 編集長。内閣府ムーンショットアンバサダー。NHK出版学芸図書編集部編集長を経て2018年より現職。21_21 DESIGN SIGHT企画展「2121年 Futures In-Sight」展示ディレクター。訳書に『ノヴァセン』(ジェームズ・ラヴロック)がある。東京出身、鎌倉在住。